Mar 22, 2012

英語習得に、なぜ多読・多聴なのか

今日の記事も、共同ブログと同時掲載します。

多読・多聴については、検索や大手書店の英語学習コーナーを見てもらえればわかるように、
相当な数の人が実践中なのかと思われます。
そのやり方についても、やさしくたくさん、多読三原則など様々、
使う素材も、教材っぽい本を好む人から、
iPadなどのgadgetを利用して多読する方もあるでしょうね。

ところがです。

こうした流れに乗っている、そもそも気づいている英語の先生って、
いったい何パーセントいるのだろうか?
中学の先生向け研修会で、これまた某有名大学の教授が自慢げに話したのは、
「私は年に十数冊のPBを読みます。」
だったそうです。

・・・・・
ちなみに暇人な私は、専門書は少なくて娯楽小説が中心ですが、
週に2、3冊。月で十数冊。
年なら100冊ぐらいのPBを読んだり、audio bookで聞くことを目標にしています。
これでも英語の先生という肩書を使うには、まだまだ足りないと感じるんです。
それなのに、英語の専門家が年に十数冊って、悲しすぎやあしませんか?
・・・・・

とまあ、日本の英語教育に徹底的に足りないのは、
”量”
ですね。
(長くなるので省きますが、量が大切だからといって、何でもいい、
例えば、プロゴルファーが宣伝しているような聞き流しがいいと言っている
わけではありませんよ。)


さて、ここでもう一つ、私が10年ぐらい多読・多聴を続ける中で、
きわめて重要なのに、学校英語ではその重要性に気づいてもいないのか、
正反対の教え方をしていると思うことがあります。
それは、至極あたりまえのこと。つまり、

「言葉の流れのまま理解する」

ことです。
日本語を読むとき、返り読みしませんよね。
文章をひっくりかえしていては、英語で会話なんてできませんよね。

でも、これってとってもとっても難しい。
私の場合は、簡単な文章であれば流れのまま理解できますが、
少し専門的なものや、文学作品になると、限界があります。

学校英語では、中1の初めから日本語訳の練習しますよね。
単語の語順を変えて理解することに、何の疑問も持っていない様子。
でもこれこそが、英語の使えない日本人を量産する学校英語の、
最大の弊害だと考えています。

日本語に変換する能力、技術は、翻訳者だけが獲得すればいいもの。
生徒には、英語は日本語に変換すれば理解できる、
という幻想を与えてはいけない。

じゃあ、どうやって初歩の初歩を指導するんだ、ってことですよね。
そこで、もどってくるのが、
「ごくやさしい本からはじめる多読」というわけです。
この先は、他の方の投稿を待つことにしましょうか。

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