Jul 13, 2010

”書く”について思うこと・・・(無駄に長い)

某先生と、すでに2回も指きりげんまんした宿題・・・
"書く”ことについて、メールされたしと。

(そうそう、先日講演会の後、S先生のサインをもらおうとしていらっしゃる方がいて、
蛍光ペンしかないんだけれどーと言われたので、
「あーちょうどいいんじゃないですかー。そのうち薄くなって・・・」(爆)
ということがありましたっけ。
こんな調子だから、先生とげんまんしたって、怖くない~ )

で、そのS先生、たまーに私の英文を見てくださっているようなのですが、
堅い英語から、少し流れが出てきたんじゃないかと。
それで、どういうわけで変化してきたのか、振り返ってみよー
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<Aha!だったこと、いろいろ>

-メール交換をはじめた相手に、英語の先生のようなことをしていると書いたら、
あなたのメールを読んで、そうじゃないかと思った、と返事があった・・・

喜んでいいのか?フクザツ。
気軽なやりとりなのに、きちんと書こうとして、堅苦しいものになっていたわけか。

-2,3行書くのにも、すごーく時間がかかった。

ネット上のメール交換や、コメントのやりとりは、即答しなくちゃ盛り上がらないのに、
きちんと書こう、って思うと、どうしても返事が1日おくれ、2日おくれ・・・となってしまう。
相手は、返事がほしくて書いてくれいることも多いのだから、
ともかく、ちゃちゃって返事しなきゃ。

-英語を第二言語として使う人とやり取りすることで、気づくことがあった。

相手の英語だって完璧じゃない。
だったら英語の質にこだわるより、意思疎通を優先。
大きな誤解が生まれない程度に書ければいい。
誤解されることがあっても、すぐに!訂正すればいいことだし。

-どんなに稚拙でそれっぽくない英訳でも、そこに流れがあれば読むよといわれた。

これは英語を第二?三?言語として使う人からのメッセージ。
"I'd love to read your translation about ***. Don´t worry too much. Just do what you feel about the flow of the translation. .... Go with the flow. "

-日本語学習者の人と話したりチャットしてみて気づいたこと。

正確だけど時間がかかる人よりは、
めちゃくちゃでもすぐ反応のある人のほうが、相手をしていて楽だし楽しい。
ということは、こちらの英語も、正確さよりスピードだよなと。
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<最近感じる変化>

-多(読・聴)して、アウトプットがはやくなってくると、
自然と正しいか正しくないかは、気にならなくなった。
どう話しをつなげよう、みたいなことは考えても、
間違っていないか、どんな表現を使おうか、なんて考えないようになった。

-少し前までは、英文を書いていても楽しくなかった。
できあがったものを見ても、その余裕のなさにうんざり。
今でも読み返しては、げんなりするけれど、
それでも書いている最中、けっこう楽しかったりする。
気がついたら、数行書き終わってたりするし。
こういう感覚は、最初、なかったなあ。

-今は、書くって、英語が溢れてくるという感じ。
英語の本をたくさん、PB1,2冊を1週間ぐらいで読んだりした後は、違う!
以前は、一生懸命搾り出して、さらにそれを組み立てて、
という作業していたんだと思う。そりゃ疲れるはずだ。

-今でも、ツルツル書けない日はしょっちゅうある。
でも、書けない原因は、英語の読書が少なくなっているから。
PB1冊読めば、また戻るさー。
ので、書けない日はかかない。
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<他>

-会話より書けるほうが楽しいかも~

会話って、その瞬間に相手が必要だし、初対面から深い話しはできない。
探りあいの時間がいる。
でも、趣味や価値観がぴったり合って、話の弾む、本音で語り合える友にめぐり合えるなんて、
そうめったにあることじゃない。
でも、書くこと、ブログ、メール、フォーラムとかなら、
その匿名性を生かして、年齢、国、性別、階層等々、関係なく、
国境を越え、いろんな人とやり取りができる。
すぐに真剣な話しだってできる。

例えば、これはルーマニアからイタリアに移り住んだ人のメッセージ。
趣味の話ついでに、こんなやり取りもする。
東欧のほうは、やっぱり大変なんだろうな。
”i have to say that life in romania is much worse now (in the economical and social aspects of it).
i got back home after more than an year of being away and the 1st thing i thought when i crossed the border in romania was "i want to go back to italy right now"
it's not fair to be unable to make a decent life in your own country(i wouldn't have left otherwise) romania indeed had a troubled history being surrounded by 3 powerful empires:the russian empire at the east,the austrian-hungarian empire at west and the ottoman empire in the south.
but enough with the history of my country...
italy is indeed beautiful and there are lots of wonderful things to see here,・・・"

-英語を上手に書くために、一般的に常識とされている方法は、
むしろ書こうとする意欲を削ぐことが多い!

・英語の表現集、英語日記を書くためとか、山ほどあれど、
あんなものを覚えたところで、英文は書けない。
人はみな、思考回路が違えば、表現方法だって様々。
誰一人として、どんな簡単な一言だって、違った言い方をするもの。
物まねみたいに、誰それさんになりきって文章を書くなんてこと、できるはずがない。
表現集は著者が使いやすい表現を集めたものであって、
決して私の言葉になることはない。

・英文は添削してもらって、復習しないと上達しない?
添削は必要ない。
自分で気づくのではなく、
人に指摘されて添削、訂正したことなんて、どうせすぐ忘れる。
それよりも、どんどん、書く。
そして、自分の書いたもので、人と交流していくなかで、
誤解を招かず、相手に負担を感じさせない程度の、通じやい文章が書きたい、
と思うようになる。

すると、今度は本の読み方が変わってくる。
”あ、こんな表現いいな”
”この前まどろっこしく説明書いたけど、これだとわかりやすいな”
この印象が頭の隅っこに残っていて、
次のアウトプットの機会に、ふっと浮んできたりする。
アウトプットすることで、インプットの質が変わり、
大量の、そしてちょっとだけ意識的にするインプットが、
アウトプットを変えていくんじゃないか。

-私が書きたいのは、"everyday people"な英語
今は誰でも英語を書いて発信するチャンスがある。
でも、この環境って、ネットの普及とともに、つい最近可能になったもの。
これまでは、英語を書くといえば、仕事で必要だったり、論文書いたりと、
正確さが求められることが多く、気軽にするものではなかった。
だから、すでに世に出ているライティングについての本や教材は、
ごく一般の人が、ブログをつけたりするのには、役立つはずがない。
どこにもお手本はない。

だったら、自分で試すしかないだろー
というのが、このブログでした。
・・・
あ、どうにかまとめになった、かな?
最後に、多読三原則とからめて、英文多書三原則?
・辞書は使わない (辞書はひかない)
・さっと書けない時は、単語だけでも並べて、先へすすむ (わからないところは、とばす)
・書けない日は、書かない (つまらない本は、やめて、後回し)

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