Apr 4, 2009

多読の例え方

多読を知らない人に、英語多読のことを説明すると、手ごたえを感じるのは一割ぐらいで、あと大半のケースが、まったく取っ掛かりがつかめていない、話が届いていない、そう感じます。
それで始めて聞く人に、わかりやすい多読の例え方はないかなあと考えているんですが・・・。

学校・テキストの英語学習 対 多読・多聴

① 給食 対 普段の食事?
  これは、あるタドキスト先生のたとえです。教科書も給食も、満遍なくエッセンスが栄養が取れるように専門家が練り上げているものだから、効率的に吸収できるはず
でも、摂取するほうがロボットじゃなくて、人間。一様ではありませんからね、どんなに栄養たっぷりの給食でも、好きじゃないメニューは残してしまう。教科書もどんなに幅広くてんこ盛りの内容にしても、興味ない事柄って身につかない。
一方、どんなに栄養的に偏りがあろうとも、味付けが少々まずくとも、しくリラックスして幸せな気分で食べる、お家の食事なら吸収率は高そう。英語もどんなくだらないジャンルでも、それが楽しくて読み聞きするのなら、それ以上に効果的に吸収できる時はないだろう。
こんな感じで、たとえられているのかなと解釈しています。
(でも、私、料理へただから、自分の作る料理より給食のほうが、うれしいかも、むむむ・・・)

② 化成肥料 対 有機肥料
  以前、地方に住んでいたときには、市民農園や庭でいろんな野菜を育てていました。cucumber, tomato, egg plant, potato, sweet potato, pumpkin, taro, cabbage, Chinise cabbage, lettuce, leek, carrot, raddish, spinach, aona, burdock, asparagus, sesami, okura, soy bean, broad bean, watermelon, kewie, strawberry・・・,
殺虫剤を使わず有機肥料、家からでる生ごみをコンポストで処理したやつですが、これだけで育てると、見てくれは形はそろわないし虫に食べられて跡は残るし、とても商品にできる野菜はできません。
でもね、これがおいしいんですよ。味が濃い、甘い。採りたてのアスパラガスとか食べちゃうと、スーパーに売っているただの繊維みたいなのに198円も払う気になれない。
化学肥料を使えば、速成で見てくれのそろった野菜ができるでしょう。でもどれもこれも供給側の要望に応じた同じ形で、同じ味しかしない。栄養も味も薄い。

テキスト、文法知識で作り上げた英語は、正確でそれなりに英語の形はしているでしょう。でもそこには、それぞれの人の味、顔ってものがまったくない。つまらない平凡な英語。
多読・多聴で養った英語は、間違いだらけで、スマートなものにはならないかもしれないけれど、一人ひとり違った、自分だけの顔の見える英語ができあがる。
自分の英語ができてから、必要なら公に出せる英語に修正していくっていうのが、順序じゃないなかあ。

③ 自動車教習所 対 一般道路
えー日本では自動車免許取るのに、高いお金払って講習やら教習所で練習ばっちりしてから一般道へ出るようですが、そういう国は少数なんじゃないですかね???実は私、教習所に行ってません。NY、マンハッタン島の中で練習して免許とったから・・・(ほんと、若いときの自分は、怖いものがなかった。)
それで、教習所っていろんな道路状況を詰め込んで練習所作ってありますが、一般道路へ出た時、あの練習が本当に役に立つんですかね?教習所で練習するより、運転の上手な人の横に座って、観察するほうが、よっぽどましなんじゃ?教習所では、一般道路で発生する状況を、再現することはできないでしょう。
それで、英語だって教科書の任意に作り上げられた世界でいくら練習したところで、リアルな世界では全く通用しない。現実は、教科書みたいな模範的な状況ばかり起こるわけじゃない。それなら、教科書に長くとどまらずに、さっさと現実世界に出て、なんの手加減もしていない英語の世界で、もまれていけばいい。もがいているうちに、取っ掛かりやコツを見つけて、それないにやっていけるようになるもの。

今のところ、自分の多読経験から出てくるのはこんな例えなんですが、みなさんは、どうですか?


(ついでに、もひとつ考え中なのが、英語吸収の例え。
酒井先生は、学校英語や辞書の呪縛から逃れられなくて、英語がのびてこないような場合、”とりこんだ英語が樽からもれている”、という例えをされます。

でも私は、漏れているんじゃなくて、最初の段階、摂取の段階から問題があると思うんです。つまり、お勉強英語で何十にも重なった”膜”が素直な英語摂取をさえぎってしまっているんじゃないか。
同じ語数を読んでいても、たのしーおもしろーい、へーこんな使い方するんだー、というふうに、おさなごのように、素直に、そのままを受け入れる状態にある人と、
辞書で確認しなくていいのかな、これで語彙がのびるかな、この表現は使えそうだ、みたいなことが頭の隅にある、いらない膜で覆われている頭で読んでいる人とでは、入力の段階から差が出てしまうと思っているんです。樽からもれるという出力段階以前の問題。一度先生に話してみよう~)

6 comments:

ilikebooks said...

>手ごたえを感じるのは一割ぐらいで、あと大半のケースが、まったく取っ掛かりがつかめていない、話が届いていない、そう感じます。
まさに同感です。読むだけですか?と何度言われたことか。ある程度英語ができる人ほどYL0から始めることなどは難しいですし、簡単な会話ができれば、paper back など読めなくていいんですと言われたりします。だから、酒井先生の本を読んだことのある方とじゃないとわかりあえないと思って、「多読的おしゃべり会」に参加してみました。
emmie さんに出会えるとは感激でした。半年前にこのサイトを見てたのです。でも、すごい方過ぎると思って最近読んでませんでした。でも、一度お話できたのでまたちょこちょこお邪魔します。

牛印牛乳 said...

ほんと、説明するのも難しいし、やり始める人はほとんどいないんじゃないかとは感じます。

ところで emmie さんは運動はしますか?

例えばテニスの場合
学校の英語式
ルールを覚える。ストローク、サーブ、ボレーの時のラケットの動きを本で覚える。ポジションを覚える。(文法ですね)
ボールの作り方とかラケットの新素材などの開発物語を覚える人もいる(ウンチクですね)
テニスに必要な筋肉を鍛える(単語集ですね)
学習時間の1/100くらいの時間を試合に使う。
負けるので、ルール覚えからやり直す。

多読は
とにかくボールを打つ
やさしい球出しで打つ
同じくらいのうまさの人と練習試合をする
プロの試合のビデオを見る(グーグル画像検索ですね)
教習DVDを見ながら素振りをする(シャドーイングですね)

もちろんコーチがいて、相手もしてくれるし、ポジション取りや腕の動きを教えてくれれば最高ですが(赤ん坊に話しかけてくれる親ですね)。

やはり英語はトレーニングですね。

Mrs. Malone said...

Shineさん、こんばんは!

先日はお話できてうれしかったです。新しい方が参加されると活気が出ていいです。

あはは、私ごくふつーですので?
多読って、意識的に人にすすめようと力が入ると、相手に逃げられやすく、そんなつもりないのに、一人で面白がっていたら、それが伝染していた、というほうが多いかな。
私は以前住んでいた久留米市では、図書館で英語絵本の会なんてことを細々続けて、数人の英語仲間ができました。まま、気長にですね。

Mrs. Malone said...

牛印牛乳さん、こんばんは!

掲示板のほうにもコメント書かせていただこうと思いつつ、新学期なので図書整理やら野暮用で忙しくなってます。多読を学校に入れると、裏方の仕事が限りなく。

掲示板のほうでは、Julieさんがコメントくださいましたが、学生にはスポーツの例がわかりやすいですね。
若いときに^^;多少テニスの経験はありますが、ボールを打つ微妙なポイントとか、自分であれこれ試してみなきゃ、説明されたって体得できるもんじゃないですよね。

Shine said...

emmie-san

以下の記述がずっとひっかかってたんです。
また、掲示板での親の立場でおしゃべりのemmie san のコメントを読んでさらに思うことがありました。
>でも私は、漏れているんじゃなくて、最初の段階、摂取の段階から問題があると思うんです。つまり、お勉強英語で何十にも重なった”膜”が素直な英語摂取をさえぎってしまっているんじゃないか。

受験とか進学で英語ができるということを勘違いしてしまった生徒やおそらく親の価値観とかが’膜’をさらに厚くしてるような気がします。
文法をきちんと指導できる教師、それを疑いもせずに吸収できる生徒が、受験に打ち勝っているという現実がある。だから、つまずいている生徒や親が追い詰められてしまう。
幼子のように楽しむ多読が最良の方法と認知されてしまったなら、文法教師は職を失うということになる、そのことを多くの現場教師が無意識に避けているような気がしてならないです。

また多読を指導するということの奥の深さ、大変さを本当にわかっている親がいるのかということにも疑問を持つことがあります。良さそう、でもその実績を見るまでは半信半疑みたいな・・・

多読をしている私自身も多読続けてこの先どんな変化が来るのか、未知数のところがありますからね。私は多読サークルを作りたくて1年色々格闘してきたんですが、ちょっと疲れています。ごめんなさい。スルーして下さっていいですよ。

Mrs. Malone said...

Shine-san、どうもー
来週から授業があるので、今日も学校へ行って裏方仕事。今もこれ書きながら、多聴用のCD予備を作ったりと、多読授業するといくらでも仕事が出てきます。
さて、私はこれからの中・高校生って、セミバイリンガル、つまり得意な分野のバイリンガルには、十分なれると思っています。単に英会話ができるなんてレベルじゃなくてね。だって、ネット使えば、一日中英語に浸かっていられるもん。
が、どうも学校の英語の先生は、そんなこと微塵も想定していないみたい。そもそも英語にふれることが、超簡単になった事実に気づいている先生自体、少ないようです。語学の先生ってネットに弱いのか。
”文法をきちんと指導できる先生”が、多読を排除しようとするのは、当然ですよね。だって、プライドをもって成し遂げてきた、それまでの職業人生を否定されるわけなんですから。
まま、いちタドキストとしては、多読が効果的なのかどうか、変化があるかないか、なんてことは、ひとまず横に置いといて、掲示板に集う人たちが、自分の波長と合っていて楽しいと感じるのなら、多読はあなたにあっている。そんな感じでいいんじゃないかな。